予備自衛官招集訓練に参加して

317日から21日まで伊丹で訓練を受けてきました!と言っても「なんで森村が自衛隊で訓練を受ける(受けられる)んだ?」とお思いの方もいらっしゃるでしょうから、まずは予備自衛官制度の説明から。分かっている人は3段落目からどうぞ。

 

詳しい制度説明や待遇の話は公式サイト(http://www.mod.go.jp/gsdf/reserve/yobiji/)や公式アカウントに譲るとして、概要だけ説明すると、「大規模災害や戦争が起こり、現役自衛官では不足した際、必要な数を急速に確保するため、予め普段から必要な訓練(概ね5/)を施している予備自衛官を登録しておく制度」ということになるだろうか。そしてこの予備自衛官になるには、①自衛隊を退職した方が登録する。②自衛官以外の一般の方が一定の訓練を受ける。の2通りあり、②に関しては更にa.語学や医学、機械整備等の資格を持ち、10日間の訓練を受けてなる。b.資格等関係なく50日間の訓練を受けてなる。の2通りある。私の場合は2011年から50日間の訓練を受け、翌2012年に予備自衛官に任用され、現在も予備陸士長として年5日間の訓練を受けながら有事に備えている。

 

さて今回の訓練の話に戻ろう。伊丹駐屯地に車で到着したのが金曜日の朝8時過ぎ、受付をすませている途中にラッパの音が。自衛隊では平日と祝日に国旗掲揚と国旗降下があり、それぞれ815分と17時にラッパの音が駐屯地に鳴り響く。その際は手を止めて国旗の方向を向いて直立不動の姿勢を取ることになっており、早くも訓練に来たなという実感が湧き上がってくる。ちなみに私は就寝時のラッパの音色が一番好きだ。気になった人はyoutubeか何かで聞いて欲しい。

 

その後迷彩服などを受け取って健康診断、午後からは訓練の全般説明と着隊式、中隊長訓示。訓示内容は「真に戦える予備自衛官として誇りを堅持せよ」「国民と自衛隊の懸け橋たれ」。予備自衛官は年間5日間訓練が義務付けられており、訓練だけで士気や練度を維持するのはどうしても難しい。その中で日常から「いざという時には国民を守る」という意識を持ちながら、更には普通に社会で生活する中で一般市民と自衛隊員の両面を持つ者として懸け橋足り得る人物になって欲しいとの内容。私も常々考えていたところで我が意を得たという感じだった。

 

2日目は基本教練(敬礼や行進時の動作)、閉所・近接戦闘訓練、警備訓練、射撃予習と銃を使う訓練が多かった。予備自衛官は有事の際、駐屯地警備等の任務に当たることが期待されており、そのための訓練であるとの教育を受けた。逆に3日目は銃に一切触らず、防災訓練と体力検定。防災訓練では分隊、小隊、中隊毎に割り当てられた災害用の機材の使用方法から、実際にそれらを使用して倒壊家屋から人員を救出する要領について学んだ。体力検定では日頃の運動不足から少し不安だったものの、120点満点中101点をマークして5段階中一番良い評価を貰いまだまだいけるじゃないかと。仕事で日々歩き回っていたり、重たいビラを運んでいたりするのが功を奏したか。

 

4日目は実弾射撃と外哨(野外での警備)、救急法。射撃は中々慣れず、訓練も少ない中で遠くの的を狙うので心配だったが何とか合格点を超えて一安心。救急法では止血と心肺蘇生について実際に反復演習。救急法は訓練に行けば必ず行うのでかなり習熟してきた感がある。実際に使う機会は無い方がいいのは勿論だが…。5日目は格闘訓練と特殊武器防護を学んでから離隊式を経て離隊。初日に受け取った被服を返納し、お世話になった隊員に別れを告げ、5日間の訓練を共にした仲間と再会を誓い合って駐屯地を後にした。

 

ここまで読んでくださったあなた、もう一段落だけお付き合い願いたい。「正直私でも出来そうだ」と思った方は正しい。私も6年前までは一般人だった。予備自衛官は駐屯地から一歩出れば普通の人だし、「(そんな普通の人でも出来る)予備自衛官制度は税金の無駄だ!」と公言して憚らない人もいる。しかし、本当に大きな有事の時に現職自衛官が全力を発揮するには後方を支える予備自衛官制度が必要だと考えている。東日本大震災では予備自衛官が時には現職と肩を並べ、時には後方でその活動を支えた。有事の際に自衛隊が果たす役割を更に補完するための、抑止力の抑止力みたいなものだ。今回はかなり長い記事になってしまったが、ともかく私も普通の人としてその一端をこれからも担っていきたい。